あらふぉの周年コンに思うこと

長らくジャニオタをやっている。


いろいろメインは変わりながらも、完全に離れることはしないというのが今のスタンスなので、いわゆる担増しという状況でここ20年くらい推移している。


アイドルの寿命が飛躍的に延びたからこそ出来るようになったのはいうまでもないのだけれど、
よってアイドル側の苦悩とか迷いも享受して受け止めていくという、新たなオタクスキルが要求されるようになったと思う。


昔は10周年を迎えられることが大きな壁だったので、そこにプライオリティが存在していたけれど、今やそれは通過点でしかないということをアラフォアラフィスジャニが提示していて、実は30代以降にさらなる壁が待っていることを下世代も感じているのではないかと思う。


売れることが最優先でハードに走れた20代、それなりにレギュラーも取れて、コンサートもコンスタントに出来るようになってひとつひとつやりたいことが出来るようになる。

ただ、その中で各自がやりたいことを模索し出すのが次の10年で(タレ個人のプラベ事情も含まれてくるのも10年目との違い)それは必ずしもみんな一緒に出来ることではなくなるし、場合によってはそのことでユニに影響が出てきたりもする。


オタクはそのあたり敏感なので、迷走具合にひどく動揺するし、場合によっては一心不乱に走れている後輩に降りていったりする。



去年のトキ、今年のブイと20周年を立て続けに見てきた。


急激にメンが語る機会に遭遇することになるのも10周年との違いで(新曲ですらメインメンのみだったりするから)
そこで10周年以降の答え合わせが始まるのだ。


トキだったら宙船大ヒットからの苦悩話だったり、ブイなら岡田反抗期といった話。
そこでオタは悩みながらも掛け持ちしながら(笑)もしがみついて応援し続けたプレゼントをもらえた気分になれるのだと思う。



自分はすべての仕事はTOKIOで音楽をやるため、と言っていたTOKIOが大好きだった。


歌で売れることが出来た宙船にも、世間に農家と認知されたDASHにも感謝しつつも、それでもそこに安泰してほしくなかった。
だから自作でガンガン攻めていこうとするエイトに完全に心が行っていたのだと思う。


彼らにとってなにがきっかけだったのかは分からない。
震災だったような気もするし、太一の病気だったかもしれないけどそれも想像でしかない。


1718以降、原則として自作しか出さないという結論をメンバーで決めた。
今は総合Pが智也になっていて、ここのところのシングルは作詞作曲編曲だけでなく、メンのレコーディングもすべてかかわっている。


レコ社3社目、相変わらずセールスはせつないものがあるし、ハードスケジュールの中でリリース数は減っているけれど、作り込んでいる様子はタヒチで伺い知れるし、なにより曲について語り込むメンを見れるのが最上級に嬉しい。


先日発売になったTV naviで太一がこれから第二章が始まると話していた。
平均年齢41からの第二章。
また次の10年は違った壁があり、そしてオタもそれと戦っていくんだろう。



でもまた2024年の日武で答え合わせをするために。
身体はヤバいけど俺ら変わらないねーと笑う彼らを見るために。



とりあえず東京ドライブもうすぐ発売です。
よろしくおねがいします。
(前置き長すぎる宣伝活動になってしまった)